ハンドクリームが欲しいとぼやいたら、千空が本当に持ってきた。

「し、仕事が早すぎないかな?」

横で見ていた杠もびっくりしたのかポカンとしている。
ハンドクリームというのはそんなすぐに「ハイできました」と持ってこられるものなのか。

「石油採掘の副産物だ。ワセリンって言や分かるか?」
「「なるほど」」

杠と感心の声がハモったので、思わず顔を見合わせて笑った。
あかぎれひびわれ等々聞いただけで指先が痛くなってくるような現象に悩まされるのも、彼にとっては想定の範囲内というわけだ。
季節はもうすっかり冬である。昨年はクリスマスっぽいことをして初日の出も見て千空の誕生日まで祝ったのだとゲンに聞いてはいるけれど、今年はどうするのだろう。

「良かったね杠」
「うん。いやー千空くんには頭が上がりませんな」
「さっすが千空!」
「いやいらねえからそういうの」

相変わらずつれないヤツめ。しかし煽てる前にモノが出てくるのだから、こちらがいつも後手に回ってしまうというのが実情だ。
一人では言いくるめられてしまうところだが、今は杠と二人なのを良いことに、千空をここぞとばかりに褒めちぎっておくことにした。





「……で、なんなんだよいきなり」

夜になって千空の今日の仕事がもうないことを確認した私は、そのまま彼の寝床に侵入した。決して疚しい気持ちはないのだけれど、千空は明らかに「どういうつもりだテメー」という顔をしている。

「大丈夫大丈夫、用が済んだらちゃんと帰るから」

だから千空はそこに座って両手を差し出してくれさえすれば良いのだ。
千空に分けてもらったストーンワールドでは貴重な保湿剤を取り出す。そもそもハンドクリームが欲しいとつい口に出してしまったのは彼の手にも原因がある。まあ、用意していた時点で本人が一番分かっているのだろうけど。

「はぁ〜〜痛そう、ホラこれ、ここも……」

まずは右手から、クリームを塗り込んでいく。色んな薬品やら石やら何やらを触りまくった千空の手は見てるこっちが心配になるほど荒れまくっている。

「せめて寝てる間くらいはね……やっといた方が良いよ」
「あー意外と作業効率落ちっからな、こういうのが」
「そうそう」

生き物というのは痛い部分をつい庇ってしまう。こればかりは仕方のないことだ。
ついでだからマッサージもしてやれと勢いづいて、荒れが酷いところを避けつつ指を一本一本押したり握ったり。ガサガサだった千空の指は、今や油膜でギトギトである。

「大きくなっちゃってまぁ」
「あ?」

彼のことは小学生の時から知っている。男の子の成長は早いもので、背の高さも手の大きさもとっくに抜かれてしまっていた。ヒョロガリなんてたまに揶揄されてはいるけれど、こうして触っていると随分しっかりした手になったものだ。

「色んなものを作って、そんで助けてきたんだね。この手がさ」

千空は何も言わなかった。どうせ「まーたくだらねえこと言いやがる」とか思って適当に流そうとしてるんだろう。しかし流されるのならいっそ全部言ってしまおうと思うのが私という人間である。
働き者の手を時間をかけて労る役が一人くらいいたって、罰は当たらないはずだ。
ぐるぐると円を描くように指で手の甲を擦って、骨に沿って指を滑らせる。自分でやっておきながら、血行が良くなりそうだなぁと思った。

「なんかハマってきちゃったかも、やろうかなこういうの」

オイルを使ってエステ的な。香りでも付けば気分転換に一役買うんじゃないだろうか。女の子は喜びそうだ。でも力仕事で何かと手を傷付けやすい男の子にも需要があるかもしれない。

「金取るのか?まあ悪くはねえな」
「いやいやド素人だし、ボランティアみたいなもんだよ」
「じゃあ却下」
「ケチ」
「んなことしてるヒマがあるならもっと唆る仕事紹介してやるよ」

千空がそういう顔して言う「唆る」なんて、私にとっては嫌な予感しかしない。
お元気いっぱいな科学少年に一日中連れ回された次の日は、確実に筋肉痛なのだ。科学博物館に行った時も、実験で山に登らされた時も、彼が先生に連れられて大学に遊びに来た時ですらそうだった。
それでも細く長く付き合いが続いて来たのは、千空の楽しそうな顔を見ると何かが満たされるような気がするからに他ならないのだけれど、彼にそれを伝える機会は果たして来るのだろうか。

「お手柔らかに頼みますよ〜先生」

お喋りしている間にひたすら揉み込んだ千空の手も、心なしか柔らかくなったような気がした。



2020.9.29 もみもみ


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